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中学生の時に『不死鳥』を聴けて良かったと思うこの頃

どーも、ざきちゃんです。

今回の仕事そっちのけのお話は、
好きな音楽について。

私はSEKAI NO OWARIが好きなのです。
彼らの選ぶ言葉が好きなのかもしれない。

少し過激に世の中を風刺した言葉に
スカッとすることもあれば、
背中を押してくれたり、そっと支えてくれたり、
こうして幸せに生きていたら忘れてしまいそうな
大切なことを忘れてしまわないようにしてくれたり。

そんな言葉が詰まっていると思います。

1曲1曲に好きな言葉があって
その言葉を聞きたくて曲を聞いている。
といった感じで。

語り出したら止まらないのですが、

そのなかでも、
もう10年くらいずっと大切に聴いている一曲が
『不死鳥』です。

(ここからは一個人の見解です)

これは、
永遠になりたいと願う人間の僕と
終わりが欲しいと願うロボットの君
のお話。

お互いないものねだりが続くのですが、、、
(その掛け合いもとても心に残るお話ですが、
語り出したら止まらないのでもういっそのこと全部省きます。笑)

私の好きな言葉がこの曲には散りばめられているのですが、一つ選ぶとするなら、

"永遠なんていらないから
「終わり」がくれる「今」を愛したいの"

中学生の時ハッとしたのを覚えています。
耳にたまたま入ってきて、
その時すぐにこの言葉は忘れちゃだめだ!って
なりました。

よく聞く”終わりがあれば始まりもある”なんて
くるくる回るような言葉じゃなくて
もっとなんかこう、
一方通行を踏みしめる的な。

すっごい楽しい時、
このままずっと続けばいいのに
ていうよくある感覚。
だけどそれは「終わり」がくれるもの。

確かに、
ずっと続いていたら飽きるし退屈になるよなて。
終わって、また同じことが始まって、、、
の繰り返しも楽しくないよなて。
考えたらそりゃそうだとなるのに、
これを聞くまでは気づけなかったのが不思議。

辛いことがあっても同じ。
ずっと続いてたら、
何回も繰り返し乗り越えてたら、
そもそも辛いとか思わないかも、とか。
だから逃げずにしっかり感じて
向き合いたいと思うのです。

大学生の時、
夜通しダンスの練習をして
朝帰ってきてから向かう1限・2限も
諦めずにほぼ寝ながら向かって良かったと
今になって思います、笑
(気づいたら席に座ってたなんてことも、、、)

話を戻しまして、、、

最後、
”不死鳥のように美しい君に
いつか終わりが訪れますように”と
君の手を強くつないだ僕。

きっと僕は「終わり」を選んだのだと思います。

私は歌の最後をこう受け取りました。↓

形あるものはいつかは壊れるなら
きっと僕と君の関係もいつかは壊れるだろうから。
そしたらもう会えなくなるから、
それが君にとっての「終わり」になりますように。

こんな感じなのかな、と。

だから「今」を大切にしたくて、
終わりを知らない君が
「終わり」がくれる「今」の尊さを
感じられるように
手を強く繋いだんだと思います。

そして、
"僕らの空を花火が飾り、夏が終わる"と、
僕も君も終わりを迎えることができたのでは
ないでしょうか。

この曲を聞くたびに
大切なことをその時に大切だと気づいて
心にしっかり残せるように。
それを忘れないようにさせてくれます。

Fukaseさんはこんなに重く考えてないと思うけど、
中学生の私はこれほどのメッセージを
受け取りましたよってな。

深夜に食べるカップラーメンが、
罪悪感なく幸せに思えるのは
若いうちだけということも、

帰ろう帰ろうといいながら、
特に話すこともないのにバイバイできずにいる
あの何もない時間もね~。

ぜひ皆さんも聴いてみてください。
(夕焼けがきれいな時がおススメです、
雰囲気大事!笑)

それでは、この次まで。

#思い出の曲

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