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『TENET テネット』が楽しめる人/楽しめない人

別刊BCNは、1カ月ごとにBCNのオンライン編集メンバーが輪番制で記事を担当していきます。今月の担当は大蔵です。本家の家電やITのネタから離れて、海外映画や海外ドラマについてあれこれ語っていきたいと思います。初回は9月18日に公開したクリストファー・ノーラン監督の『TENET テネット』です。

新型コロナウイルス感染拡大の影響で、今年公開予定の映画は軒並み延期や公開中止、あるいはオンライン配信を余儀なくされたこともあり、久しぶりの超大作(製作費は2億ドル超え!)を心待ちにしていた映画ファンは多いでしょう。私もテレビでCMが流れるだけで、芸能人を使った安易な演出に「違うだろ!」と毎度お馴染みのツッコミを入れつつも、思わずニンマリしてしまいます。

「2回以上観ないと分からない」という情報が拡散されていますが、間違っちゃいけないのは「2回以上観ないと楽しめない」ではないということ。1回でも分からないなりにちゃんと楽しめるノーラン映画の魅力は今作でも健在です。作品のおもしろさやギミックについては、尽きぬ議論が各所で繰り広げられているのでそちらに譲るとして、ここでは『TENET テネット』を楽しめる人と楽しめない人について、考察してみたいと思います。

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●「ダークナイト問題」に端を発するノーラン作品の好き嫌い

クリストファー・ノーラン監督が世界中で新作が待望される監督の一人であることにはもはや異論の余地はないでしょう。作品の毛色は違えど、期待度でいえば一昔前のスピルバーグ映画に近いかもしれません。ところでノーラン映画は以前から好き嫌いが激しく分かれることでも有名です。

よく引き合いに出されるのは、東村アキコ原作の漫画『東京タラレバ娘』。作中で知り合って間もない男性の部屋で主人公の倫子が映画鑑賞をすることになり、男性のおすすめとして出てきたのがノーラン監督の『ダークナイト』。倫子は心の中で「男は大好きだけど、女が観ても全然面白くない映画No.1」と評価するというくだりです。

通称「ダークナイト問題」は、現在でもノーラン新作が出るたびに議論になります。検索エンジンに「ダークナイト」と打ち込むと上位に「女受け悪い」というワードがサジェストされるほどです。そんな経緯もあって「ノーラン映画=デートに不向き」というのはある種の恋愛鉄則にもなっているようです。

●3つの要素から分析してみると

「単純に暗い」「ストーリーが複雑」「恋愛要素が少ない」などがよく根拠としてあげられますが、『TENET テネット』はどうでしょうか。ノーラン映画を特徴づける「時間トリック×アクション×エモーション」の3要素を軸にいくつかの代表作を分析してみました。

まずは冒頭で紹介した『ダークナイト』。正確には3作から構成されるダークナイトシリーズですが、ここではヒース・レジャーの怪演が光る2作目のみに焦点を当てます。バットマンシリーズは他のアメコミ映画と比較しても闇が深いのが特徴ですが、ダークナイトはその中でも群を抜いています。

まだご覧になられていない方のためにネタバレは避けますが、正義が弱く、悪が強すぎるという構図が終始貫かれる本作は、鑑賞後にスッキリとはほど遠い後味が残ります。つまり非常に“通好み”の作品です。ただノーラン作品としてはエモさは高く、比較的キャラクターに寄り添いやすい作りになっています。時間トリックもなくストーリも追いやすい。アクションもド派手と実は見やすい部類に入ります。

時間トリック×エモーション×アクションに10段階つけるとすれば、時間トリック(1)、エモーション(8)、アクション(10)といったところでしょうか。数値は良し悪しの評価ではなく、あくまで作品を構成する要素レベルだと思ってください。

続いて、レオナルド・ディカプリオ主演の『インセプション』。こちらはTENET テネットの引き合いに出されることが多いように、時間トリックがふんだんに盛り込まれ、ストーリーはなかなかに複雑です。ディカプリオの演技で女性からも一定の支持を得ているように思いますが、やはり人は選ぶかなという印象です。

要素レベルとしては時間トリック(9)、エモーション(9)、アクション(9)とどれも高く、THE・ノーラン映画と呼ぶにふさわしいでしょう。エモいことはエモいですが、負の方向に突っ走っているので共感できないという人は多いかもしれません。

最後にSF史に残る名作としてコアなファンが多い『インターステラー』。ジャンルとしては宇宙開拓モノですが、主軸は「時間」に置かれていてノーランお得意の時間トリックをもっとも満喫できる作品といえるでしょう。アクションは少なめで、エモーショナルなシーンが多いという点では珍しいかもしれません。

これだけ聞くと「デートにもよさそう」と思いますが、本作には難解な理系ワードが飛び交い、話についていけないという致命的な問題があります。アクション要素も少なく、人によっては退屈と感じるかもしれません。女性側に説明を求められても男性側も説明できないという状況もありうるでしょう。時間トリック(10)、エモーション(9)、アクション(3)といったところでしょうか。

このようにあちらが立てばこちらが立たず、といった具合でノーラン作品は研ぎ澄まされたクオリティの高さに比例するように、敷居も高くなっているケースがほとんどです。上記の3作品をみても分かるように、実はダークナイトは序の口で、他の作品も「デートで観に行くと困る」映画のオンパレードなのです。

●TENET テネットはノーラン節全開 身を委ねて鑑賞せよ

前振りが長くなりましたが、TENET テネットに話を戻します。本作はとあるスパイが“時間の逆行”という未来のテクノロジーを駆使して、第3次世界大戦を防ぐために奔走するというのがあらすじです。ストーリー自体は最初から方向性が定まっていて、至ってシンプルです。

曲者なのが“時間の逆行”という概念です。バック・トゥ・ザ・フューチャーのように、時間軸を行ったり来たりするのではなく、1本の時間軸(同じ映像)の中である部分は順行、ある部分は逆行と入り混じっており、これまでにあまり経験したことのない頭の使い方をしながら鑑賞する必要があります。

 たとえば、カーチェイスのシーンでは時間に順行している車はアクセル全開で走っていますが、逆行の車はバックで全開に飛ばしています。アクション映画ならそんなシーンもたまにありますが、「この車は時間が逆行しているから……」と考えながら観ると、急に頭がこんがらがってきます。

「とんでもなくハードルが高そう」と思われるかもしれませんが、複雑な時間軸の混在が発生するのは物語終盤で、大枠のストーリーラインが分からなくなるということはありません。1回目の鑑賞、あるいは1回以上は鑑賞しないという人であれば、すべてを理解しようとせずに身を委ねて、未体験の映像を味わうのがよいかと思います。

アクションという観点では、本作は申し分ないです。肉弾戦、カーチェイス、スパイらしい潜入などが満載で、ノーラン版の007のような様相です。おもしろガジェットやハッキングなどのデジタル要素があまりないのは、IT記者としてはちょっと寂しかったですが、アナログの映像美を探求するのがノーラン作品なので、致し方ないでしょう。

では、エモーショナルはどうかというと、これはあえてなのでしょうが、かなり控えめです。主人公に名前が与えられていないという仕掛けが象徴するように、登場人物のバックグラウンドやキャラクター性は最小限しか語られず、あくまで「時間の逆行がある世界」を堪能できるよう徹底的に削ぎ落とされています。

先ほど紹介した3作品に倣って要素レベルをつけるなら、時間トリック(10)、エモーション(4)、アクション(10)。インセプションに近いといえそうですが、観客とキャラクターとの距離感がだいぶ異なり、「インセプションが好きなら楽しめる!」と一概には言えないのが難しいところです。

ここまでつらつらとノーラン作品について論じてきましたが、最終的にどんな人が楽しめて、どんな人が楽しめないのか、という結論に移りたいと思います。複雑なストーリーやロジックについていける、ド派手なアクションが大好きなど、いろいろと有効な切り口はありますが、個人的には「人軸ではなく世界軸の物語を受け入れられるか」を判断軸に推したいと思います。

TENET テネットはキャラクターそれぞれのエモーショナルな描写は控えめなので「共感」を求めて鑑賞するには不向きでしょう。人ではなく世界観にこそ、焦点を当てている作品だからです。内包する要素が似ているインセプションは世界観も圧倒的ながら、常に物語の中心はディカプリオ演じる主人公でした。夢の中という摩訶不思議な世界は主人公の心情とリンクする役割を担っているに過ぎません。

一方、TENET テネットの場合は「時間の逆行が存在する世界」が物語の中心で、主人公はあくまでそれに翻弄される一人です(後半はややその役割に変化がありますが)。先ほど「身を委ねて鑑賞するべし」と話しましたが、TENET テネットの仕掛けに身を委ねて翻弄されることに喜びを見出せるなら、きっと楽しんで鑑賞できるはずです。

…小難しい結論に至ってしまいましたが、結局のところ「デート向きか?」という問いには「NO!」と答えざるを得ません(笑)TENET テネットは一人で鑑賞して「良いものを観たな…」と悦に浸るか、趣味の合う友達と語り合うための映画です。しかし、オタク男は好きな人に自分の好きなものを観せて「面白かったね!」と言ってほしいもの。楽しい人には楽しくない人の気持ちは分からない(逆も然り)という普遍の論理のもと、方々で不幸な「ダークナイト問題」が繰り返されることは必至でしょう。



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